ひろいひろい 宇宙の一辺をさまよう 孤独な流れ星がありました  その 流れ星のうえには 一匹の小鬼が住んでいました キスする惑星    1  ある日の明け方、クレーターの中で目を覚まして、小鬼はため息をつきま した。  今日が「キスの日」だということは、流れ星に住んでいる人間ならば誰だ って知っています。「キスの日」は、流れ星にたったひとつだけあるキスの 街で、盛大なお祭りが開かれる日です。通りという通りには音楽と踊りが満 ちあふれ、パレードや楽隊がにぎやかに行進して、すべての家のテーブルは、 すばらしいごちそうの重みでへこむに違いありません。  人びとはみんなきらびやかに着飾って、この世でいちばん大好きな人と、 この世でいちばんすばらしい一日をすごすために、そのお祭りに集まるので す。 「それなのに」と、クレーターに投棄された粗大ゴミのてっぺんによじ登っ て、小鬼は誰にともなく呟きました。「ぼくにはいっしょにお祭りにいく相 手がいない」  ガラクタの家で暮らしている小鬼を誘ってくれるような人間は、ひとりも いませんでした。それもそのはず、クレーターの荒野に住んでいるのは、街 で暮らせないできそこないばかりなのです。  朝ごはんをかじりながら光り輝く街の灯りを眺めているうち、小鬼は、自 分がいる場所の薄暗さを思い知らないわけにはいきませんでした。  ひとりぼっちというのはなんて悲しいことなんだろう、と小鬼は思いまし た。ぼくには、ぼくが大好きな人も、ぼくを大好きな人もいないんだ。  そこで小鬼は叫んでみることにしました。 「キスの日なんて、くそくらえだ! あんなお祭り、ちっとも行きたくなん て、ないね!」  あんまり大きな声で叫んだもので、小鬼は危うく自分の声で失神して、ガ ラクタの山から転げ落ちるところでした。でも胸はすっと軽くなりました。 軽くなった胸の隙間にさみしさを閉じ込めると、小鬼は慣れた手つきで重く て固い鍵をかけました。  サンドイッチを食べ終えると、小鬼はひとり遊びをはじめました。いつも のように、自分ひとりで変な顔を作って、自分ひとりでおなかを抱えて笑う のです。大笑いするのに疲れたら、大好物のドロップキャンデーをなめなが ら宇宙を見上げて、流れ星のそばを一瞥もくれずに通り過ぎてゆく、無愛想 な星月の数を数えてすごしました。 「ところでさ」キャンデーがすっかり溶けてしまって、星空にも飽きたとこ ろで、小鬼はガラクタから飛び降りると、クレーターの影に向かっていいま した。「さっきから、どうしてずっと、こっちを見てるの?」 「ひゃあっ」と声をあげて物陰から飛びだしてきたのは、見たことのない女 の子でした。女の子は、まさか自分が見つかっているとは思っていなかった ようで、目を白黒させて驚いていました。 「きみはクレーターのひと?」首をかしげて小鬼が訊くと、女の子はためら いがちにうなずきました。小鬼は不思議だな、と思いました。クレーターに、 こんなにうつくしい子がいたっけな?  そう、それはいままで小鬼が見たこともないくらいにうつくしい女の子で した。だって、女の子は陶器でできていたのです。髪も、肌も、着ている服 も、全部が透きとおるようなつやつやの陶器でした。こんなにきれいな女の 子は、街中を探しても、いいえ、流れ星を逆さまにして振り回したって、他 には見つからないかもしれません。  こんな素敵な女の子とふたりでお祭りにいけたら最高だろうな、と小鬼は ちらりと考えました。  だから「ぼくに何か用事?」という問いかけに女の子が答えたとき、小鬼 が驚きのあまりひっくりかえってしまったとしても、それは無理のないこと だったのです。 「あの」陶器の女の子はほっぺたをまっ赤に染めて、消え入りそうな声でこ ういいました。「わたしといっしょに、お祭りにいってくれませんか?」  小鬼はかろうじて、ひっくりかえりはしませんでした。そのかわり、あっ けにとられて彫刻みたいに固まってしまいました。二の句が継げない小鬼の 様子を誤解して、女の子は、いったそばから「ごめんなさい!」と謝りまし た。「き、聞いてました、あなたがさっき、お祭りなんていきたくないって 叫んでいるの。だから、むりなお願いですよね、いっしょにお祭り、いきた いなんて。ご、ごめんなさい、わすれてください」 「違うんだ!」大あわてで立ち去ろうとする女の子を、これまた大あわての 小鬼が引き止めました。小鬼はしどろもどろになりながら、いいました。 「ええと、あれは、のどの調子をたしかめてただけなんだ。だからさ、せり ふに意味なんてないんだ」  必死になってきいきい声をうらがえしている自分に気がついて、小鬼は無 性に恥ずかしくなりました。きょとんとしている女の子の顔をまっすぐ見て いられなくなって、宇宙を見上げて呟きました。「だから、いってもいいん だ。お祭り……」 「ほんとうですか?」ぱあっ、と。陶器の少女の顔に、微笑みが、超新星み たいに輝きました。  小鬼は、なにがなんだか気持ちの整理がつかないまま、しきりに何度もう なずいていました。  こうしてふたりは、いっしょにお祭りにいくことになったのです。    2  街はまさに「キスの日」を記念したパーティーのまっ最中でした。  すべての建物に飾られた、カラフルなネオンサインに彩られて、流れ星は 宇宙をただようホタルみたいにちかちか点滅を繰り返していました。電飾は、 みんなが孤独な気持ちを思い出さないようにするために、一度も消されたこ とがないのです。  人びとは意味もなく行列を作り、前を見ずに歩いて、ぶつかった相手と手 を取りあって踊っていました。まるで街中の人間の脳みそが、穴ぼこだらけ の砂糖菓子になってしまったような大騒ぎでした。  でも、それよりなにより小鬼を浮き足立たせたのは、なんといっても並ん で歩く女の子の、つやつやした微笑みでした。 「どうしてぼくを誘ってくれたの?」  おそるおそる訊いた小鬼の問いに、陶器でできた女の子は「ずっと前から、 あなたのことを見てました。それで、キスの日はいっしょにすごせたらいい な、って思ってて、でも、今日までいい出せなくって……」と、はにかみな がら答えたので、小鬼は自分のほっぺたを引っ張りすぎて引きちぎりそうに なるところでした。どうしても現実の出来事とは信じられなかったのです。 なにしろクレーターの荒野に住んでいる女の子たちといったら、小鬼の知る かぎりでは、泥とか灰色の石でできた連中ばかりだったのですから。小鬼の 棲み家の向かいには鉄くずのおばさん、隣の穴には粘土の少女が住んでいま した。みんながみんな変わり者で、みんながみんな、ひとりぼっちでした。 「きみみたいな子がクレーターにいるなんて知らなかったな」と小鬼がいう と、女の子は少し悲しそうな顔になりました。小鬼はあわてて「知っていた ら、すぐに好きになってたと思うよ!」と取り繕いました。  街いちばんの大通りにさしかかったところで、小鬼と陶器の女の子は人び との群れに囲まれました。みんな女の子を眺めにきたのです。  風になびく薄い陶器のドレスは、ネオンの光を反射して天の川に負けない ほどにキラキラと輝いていて、いまや彼女は疑いもなく、この世でいちばん きれいな女の子に見えました。  人びとは「まるで星の噴水だ!」と、口々に女の子の愛らしさを誉めそや し、彼女の肌や、すべすべした腕に触りたがりました。  陶器の女の子が誉められるのを見ていると、なんだか小鬼までがいい気分 になりました。街中のネオンサインは、ふたりを照らすためにあるスポット ライトなんだと思いました。  ふたりは踊るようなステップでお祭りをめぐり、数えきれないくらいの楽 しい場面に遭遇しました。それは、まるきり魔法にかかっているような気分 でした。ふたりでいると、本当に、何から何まで素敵なことばかりが起こる みたいに思われました。  太ったキャンデー売りが自分の店をハンマーで叩き壊している場面にも出 会いました。ハンマーがショーケースを突き破るたび、フルカラーの爆発が 起こり、星屑のような飴玉がばらばらと路面にこぼれ落ちるのです。 「叩きつぶすくらいなら、もらってもいいかな?」と小鬼が訊くと、キャン デー売りはふりかえりもしないまま「どうぞ!」と叫びました。「好きなだ け持っていってくれ!」  そこで少女はガラスケースに残っていたハッカ飴をつまみあげて頬張りま したが、小鬼はキャンデーが大好物だったので、欲張って、拾えるかぎり拾 い集めて、半ズボンのポケットに詰め込みました。  破裂寸前にふくれた小鬼のポケットから、歩くたびにキャンデーが転がり 出すのがおかしくて、ふたりは顔を見あわせてくすくす笑いあいました。  昼食どきになると、ふたりは店員がいないレストランに入って、厨房から 好きなものを持ち出しておなかがいっぱいになるまで食べました。  アンタレスみたいに輝くリンゴや今にも踊りだしそうなチキン、深い海の 底の香りがするゼリーなんかをテーブルの上に並べていると、遊び疲れた料 理人が戻ってきて、ふたりにシャンパンをおごってくれました。  そんなこんなで、レストランを出たときには、ふたりのほっぺたは桃色に 染まり、肩は、いまにも触れあいそうなくらいに近づいていました。    3  誰かといっしょに過ごす一日がこんなに幸福なものだなんて、小鬼は生ま れてはじめて知りました。  しあわせそうに微笑む陶器の女の子と隣あわせで歩いているうちに、胸の 中に閉じ込めておいたはずのさみしさは、夜明けの森の朝露みたいに、跡形 もなく消えていました。かわりに、胸がどきどきしていました。心臓がドラ ムみたいに大きな音で脈打つもので、小鬼は自分がすっかり陶器の女の子を 大好きになってしまったことに気がつきました。  高鳴る鼓動に押しだされるように、「女の子にさわりたい」という思いが、 小鬼の心の奥底から突きあげるように沸いてきました。触れあえば、もっと たくさんしあわせになれる気がしたのです。その感情はみるみるうちに怪物 みたいに大きくなって、小鬼はいてもたってもいられなくなりました。  人通りの少ない路地に迷い込んだとき、とうとう小鬼は足をとめて、女の 子にいいました。「ねぇ、今日はキスの日だね」  それからいかにも突然の思いつきみたいに「キスってどんな感じがするの かな?」と呟いたけれど、その声は緊張でがたがたでした。  目うつりしながら遊んでいるうちたどり着いた路地裏は、薄暗いわけでは ないのに不思議と静かで、ふたりだけのために用意された別世界のような感 じがしました。 「きみ、ぼくのこと、好き?」  女の子はうなずきました。  小鬼がぎこちない手つきで肩をひきよせると、女の子は小首をかしげてか ら恥ずかしそうに微笑み、その仕種はまったく陶器のようにつやつやしてい て、小鬼は気が遠くなりそうでした。甘美に漂うパレードの音楽に耳を澄ま せて、これならたしかに、今日死んだってかまわないな、と思いました。  そうしてふたりはゆっくり顔を近づけて、訪れるはずの、夢のような感触 を予感して目をつぶったのです。  だけど、衝突したのは唇じゃなくて、小鬼の頭から生えていた角でした。  酷い音がしました、――ぎりっ――!  少女は悲鳴をあげませんでした。ただ小鬼から二、三歩離れると、指先で 額を押さえてぎゅっとまぶたをゆがめただけでした。でも、少女の指の隙間 からは、ひび割れみたいに醜い傷跡が刻まれているのがはっきりと見て取れ ました。  小鬼はうろたえ、やっとのことで「ごめん」とだけいいました。  少女は陶器の涙をこぼしました。しずくは顔料で描かれた繊細なまつげの 間からぽろぽろとあふれて、とっさに差しだされた小鬼の指をすり抜けると、 地面にはじけて透明な音色を響かせました。  ちりんちりんちりん、  ちりんちりんちりん。  そのメロディーはとてもきれいで、小鬼は真空の闇に突き落とされたよう な気持ちになりました。    4  大通りに戻ったふたりを出むかえたのは、人びとの「陶器の少女がきたぞ!」 という喝采でした。陶器でできた少女の噂はもう街中の評判になっていたの で、彼女のうつくしさをひと目見ようと、次から次へと見物人が押しかけて きました。  彼らは女の子の額を指さして、口々にいいました。「その醜い傷跡はなに?」 「どこでついたの?」「誰にやられたの?」 「おれは見ていた!」と、少女が泣いていたところを目撃していた誰かが、 わけ知り顔で叫びました。 小鬼が陶器の女の子を傷つけている! と彼ら は噂して、その評判もまたたく間に広まりました。女の子は説明しようとし たけれど、彼女の声はか細くて、人びとの耳には届きませんでした。 ふた りが並んで歩いていると、人びとは小鬼めがけて石を投げました。狙いを外 したいくつかの石は、女の子のからだをかすめて、素敵な陶器のドレスを欠 いてしまいました。  小鬼は女の子を守りたい一心で、「ここはあぶない! あっちの道にいく んだ!」というと、女の子の手のひらを握りしめて駆けだしました。  でも、すぐに脳裏にあの――ぎりっ!――という音が響いて、苦痛にゆが んだ女の子の顔が浮かびました。小鬼は女の子を傷つけることをおそれて、 つかんでいた手をぱっと離しましたが、気がついたときにはもう手遅れだっ たのです。  女の子の手のひらは、小鬼の長くて鋭い爪に切り裂かれて、傷だらけにな っていました。  つないだ手のひらの温度は、あっという間に消えてしまいました。     5  街の明かりはどこまで逃げてもふたりのことを追いかけてきました。  顔を隠した女の子。唇を噛む小鬼。人ごみをかきわけて逃げ惑う奇妙なふ たりの姿は、ばか騒ぎの種を欲しがっていた人びとの、格好の標的になりま した。ひそひそ話や、好奇の視線に突き刺されて、小鬼の背中は穴だらけに なりました。  目を閉じて、耳をふさいで駆けながら、小鬼は声にならない叫び声をあげ ました。消えてくれ、消えてくれ、こんなぼくらは照らさないでくれ!  だけどネオンのスポットライトは、小鬼の頼みになんて耳を貸してはくれ ません。流れ星を照らすスポットライトは、女の子のドレスをしあわせいっ ぱいにきらめかせていたときと少しも変わらない明るさで、壊れてしまった 彼女の姿を街じゅうにさらし続けていました。  小鬼はようやく見つけたビルの隙間に逃げ込むと、「どうしてこんなこと になってしまったんだろう?」と頭を抱えてうめきました。 「ごめんなさい…・・・」と女の子が答えたので、小鬼は驚きました。 「悪いのはぼくだろ! どうしてきみが謝るんだよ!」 「わたしが――」だけど、女の子はそれきり言葉を継げなくなって、押し黙 ってしまいました。  ふたりは気まずい沈黙の壁に閉じ込められてました。  自分がつけた傷跡を見つめることができなくて、女の子から視線を背けた 小鬼の瞳は、ガラス窓に映った自分の姿をつかまえました。  逆立った真っ赤な髪の毛。背は低くてやせっぽちで、乱暴そうな両方の目 だけが、ぎらぎらとした光をたたえて自分自身を睨みかえしていました。  ああ。ぼくはなんて不恰好なんだろう、と小鬼は嘆きました。  小鬼の目に何より醜く映ったのは、頭から生えた角でした。角は流れ星に 住む他の誰にも生えていない、小鬼だけの特別なものでした。小鬼はそれを 深く憎んだのです。 誰かを傷つけることしかできない角なんかが、どうし て生えているんだろう。こんなものが生えてなければ、大好きな人と触れあ えたのに。  こんな角なんて、最初からなければよかったのに――! 「そうだ!」  小鬼は陶器の女の子に「ちょっと待ってて!」といい残すと、一目散に金 物屋に飛び込みました。戻ってきた小鬼の手に握られていたものを見て、女 の子は顔色を失いました。 「とっておきの方法を思いついたんだ」小鬼は女の子に銀色のナタを差しだ してこういいました。「こいつでぼくの角を切り落としてくれ」  突きつけられたナタは、舌なめずりをするみたいにぎらりと光り、少女は おびえて首を横にふりました。「できません」 「きみを傷つけることしかできない角なんて、はじめからいらなかったんだ」 と小鬼はいいました。「このままだと、ぼくはきみと釣りあわないんだ。き みはとっても素敵だけれど、ぼくはこんなに醜いから、きみとキスもできな い」  小鬼の手の中で、冬の月のように冷たい刃が、かすかに震えながら女の子 の顔を映していました。小鬼は女の子に訊きました。 「きみ、ぼくのこと、好き?」  だけど、女の子はうつむいたまま、答えをかえすことができませんでした。 小鬼は自分の心のどこかが破れて、どろどろした熱いマグマが、頭の中いっ ぱいに流れ出すのを感じました。  小鬼は「やるんだ!」と怒鳴ると、有無をいわさない勢いで女の子の手に ナタを握らせました。「きみのために、ぼくは変わりたいんだ! 邪魔な角 なんて切り落としてしまえばいいんだ!」ぎらぎら、ぎらり。 「さあ!」  とうとう女の子はナタを振りあげました。小鬼の瞳に気おされて、もう、 そうする他になかったのです。  小鬼が祈ったのは、これですべてがうまくいくこと。  小鬼が知らなったのは、角の中にも神経が通っていたこと。  がつん!!  と、銀の刃が角の表面に食い込んだ瞬間、小鬼の頭に激痛がほとばしりま した。  なんという痛みでしょう。それは、まるで頭の中にカミナリが落ちたよう な、この世のものとは思えない苦しみでした。角は小鬼の命とつながってい たのです。小鬼は堪えきれなくて、身をじりました。はずみで少女が打ちお ろしたナタの刃は、滑って角から飛び出しました。  ふたりがあっと息を飲む暇もなく、行き場を失って投げ出された刃は、小 鬼の頭を押さえていた、女の子の片腕をばっさりと切り落としていました。  崩れ落ちる女の子を抱きとめて倒れながら、小鬼は意識を失いました。    6  その日の夕方、クレーターの中で目を覚ました小鬼は、いっとき、すべて が夢の中の出来事だったのではないかと思いました。  だって、ガラクタでできた家も、クレーターの荒野も、なにもかもが朝起 きたときそっくりの景色でそこに横たわっていたからです。  でもよく見ると、そこは彼の家とは積まれたガラクタの種類が少し違って いましたし、小鬼が額に手をやると、角にはぺたりと大きな絆創膏が貼られ ていました。 「気がついた?」という女の子の声が聞こえて、小鬼は我にかえって飛び起 きました。そうです。まだずきずきするこの角の痛みが夢でないなら、気を 失う直前に起こったことも、すべて現実のはずでした。「うで……!」 「へいきだよ」肘から下のない左手を抱いて、女の子は目を伏せたままいい ました。「わたしは痛みを感じないから」  女の子が思ったよりも取り乱していないことに、小鬼は驚いていました。 だけど、小鬼がもっとびっくりしたのは、陶器の女の子のからだが、本当は 粘土でできていたことでした。  切断された少女の腕を見れば、それは一目瞭然でした。女の子のつやつや した陶器の肌はうわぐすりだけの装飾で、中にはくすんだ色のかたまりが詰 まっていました。そのかたまりは――女の子の本当のからだは、粘土でした。  小鬼ははっと気がついて、ガラクタのすきまに駆け寄りました。すぐそば にある隣のクレーターには、馴染み深いガラクタたちで作られた、小鬼の住 み家がそびえていました。  小鬼の口があんぐりと開きました。「きみは――」 「一度も気がつかなかったよね。ずっと、隣に住んでいたのに」女の子は残 された手で顔をおおって、地面にしゃがみこみました。「わたしだって、一 生けんめい変わろうとしたんだよ?」  女の子は、床に散らばっていた使い古しの化粧道具や、裁縫道具を掴みあ げると、小鬼に向かって力なく投げつけました。片手で放った道具たちはう まく飛ばずに、見当外れの方向にぶつかって、ふたりのあいだに乾いた音を 響かせただけでした。 「陶器のおしろいをして、陶器のドレスで着飾って……。本物の陶器の女の 子みたいに、ふるまう練習もしたのよ。あなたに好きになってもらえるよう に、本当のわたしのみにくいからだを隠そうと、がんばったのに。それなの に、どうしてみんな壊れちゃったの?」  小鬼は陶器の女の子――いいえ、ずうっと隣に住んでいた、粘土でできた 女の子を見つめました。あんなにうつくしかったドレスはびりびりに割れて いて、顔にも手にも傷跡がいっぱいの、それは酷い有様でした。 「どうして、しあわせになれないの?」  どうしてだろう、と小鬼は思いました。  小鬼には、女の子の気持ちを痛いくらいに理解することができました。傷 つけあうことしかできないのなら、恋心なんて、稲妻にでも焼かれて死んで しまえばいいのに。  伝えたい言葉が見つからなくて、自分の気持ちに自信が持てなくなって、 小鬼はポケットの中をまさぐりました。  あんなにたくさん詰め込んだはずのドロップキャンデーは、いつの間にか、 ひと粒残らずどこかにこぼれ落ちてしまっていました。ふたりがしあわせを 感じていたことをあらわす証拠は、何ひとつ残っていませんでした。ポケッ トの中には、小鬼の心とそっくりな、がらんどうの空白が広がっているだけ でした。  いいえ。  空っぽのポケットのいちばん奥に、ひとつだけ、小鬼の指先に触れたもの がありました。  つまみあげた陶器の涙を、小鬼は口にふくんで転がしました。  それは奥歯に当たってちりんちりんと音をたてて、紛れもない、恋と陶器 の味がしました。 「きみはにせものなんかじゃない」と、小鬼はいいました。「きみの涙はほ んものの陶器だ」  少しだけやわらかくなった、長い長い沈黙のあとで、女の子はいいました。 「これって、まだデートだよね?」  小鬼は「デートってなに?」と答えました。小鬼はデートを知らなかった のです。 「デートを知らないなんてないよ」女の子は肩を震わせて泣きながら、くす くす笑いだしました。それはひび割れていて、ちっとも陶器らしくない笑い 方だったけれど、子鬼は悪くないなと思いました。  女の子の笑顔がもっと見たくて、小鬼はひとり遊びで編み出した、とびき り変な顔を作って彼女の前に詰め寄りました。「ほらこれ、みてみて」 「やめて」女の子はたまらず吹きだしました。顔を伸ばしたりゆがめたりす るたびに角が激しく痛むので、小鬼の目からも涙が出ました。  ふたりはぼろぼろ涙をこぼしながら、おなかがよじれるまで笑い転げたの です。    7   幼いころに何度も夢みた絵本の中のお話みたいに、「めでたしめでたし!」 という言葉が魔法のように降ってきて、痛いことも悲しいことも、すっかり 退場させてくれるなんて奇跡は、ぜんぜん起こらなかったけれど。  そんなときでもふたりの顔に笑顔が生まれていることが、小鬼は不思議で なりませんでした。  考えれば考えるほど、いまの自分がしあわせなのか、ふしあわせなのか分 からなくなってきて、小鬼は頭を使うのをやめました。こんな一日の終わり に、考えすぎで角と頭をますます痛めるなんて失敗はごめんですからね。 「まにあったね」  ふたりは小鬼の家に積みあげられたガラクタのてっぺん、壊れたプラネタ リウムの残骸に腰かけて、空を見つめていました。 「そういえばさ、きみがひとりで、ぼくを街から運んできたの?」と小鬼が 訊くと、女の子は「そうだよ。片手が使えなかったのに、街の人は誰も手伝 ってくれなくて。大変だったんだから」と答えました。小鬼はひそかに女の 子のことを「つよい子だなあ」と思いましたが、そういうことは口に出さな い方がいい気がしたので、胸にしまっておきました。 「でも、ここまで運んでくれなくても、よかったのに。もう戻ってくる必要 も、なかったんだから」 「だって、ここから見たほうがきれいじゃない?」  女の子のいう通りでした。  いつもは暗い宇宙の海が広がっているだけの空も、今日ばかりは格別です。 見上げればそこには、視界のすべてを埋め尽くほど一面にせまった、世界一 巨大なラピスラズリの結晶みたいな、青い惑星がありました。惑星は一秒ご とに流れ星の上空を押しつぶし、さまざまに表情を変えながら、彼らの世界 にぐんぐん接近していたのです。  だって、今日は「キスの日」ですから。  遥かな永い年月、孤独の宇宙をさまよっていたみんなの流れ星が、とうと う出会えた魅力的な惑星と恋に落ちて惹かれあい、衝突する記念日なのです。  永い孤独の旅路がこんなかたちで終わることを、嘆く人も、喜ぶ人も、喜 びながら嘆く人もいたけれど、やがて恋人星は暗黒の空間を眺め続けていた 彼らの目には鮮烈すぎるほど青く、限りない水と柔らかそうな大気を持って いることが知れると、誰の心も初恋みたいにどきどきしました。 「陶器みたいにつやつやしてる」小鬼はうっとりとして呟きました。「それ に、キャンデーみたいに丸いよ」 「でもね、知ってる? あの星のほとんどは、粘土でできているんだよ」女 の子は得意そうに、小鬼の耳にささやきました。「それなのに、宝石みたい にうつくしいって、すごいよね」 「うん。もう手を伸ばしたら届きそうだね」 「あの星の名前はね、チキュウ、っていうんだって」 「とってもさみしそうな名前だね」 「そうだよね」  流れ星が火を噴いて、クレーターも街も、とろけんばかりの放射と震動に 包まれました。もう言葉も届かないけれど、熱で溶けたらひとつになれるよ うに、ふたりは固く互いの手をとりあいました。  そうして傷だらけの小鬼と女の子は、彼らを乗せたさみしがり屋のふたつ の星が、触れあえなかったみんなのかわりに、たった一度きりのキスをして くれる瞬間を、しずかにに、しずかに待ちうけたのです。    *  まっくらのようで。  まっしろのようで。 「ねぇ」  もう何も見えないけれど。 「わたし、きみ、好きだよ」  もう何も聞こえないけれど。  ほんとうなんだよ。 「その角も大好き」 (that's all) --- ※この作品は、2004年12月、Beta氏主宰の同人音楽サークル"ion"のセカンドアルバム『PLANETARIUM』の為に書き下ろされたものです。 鈴珠ひよさんの素敵な挿絵がついて、アルバムに同梱される絵本になりました。お二人に感謝を。 ion homepage(Beta)    http://www.geocities.jp/medesuinsuika/ どり〜むぴ〜す(鈴珠ひよ) http://www.ne.jp/asahi/hiyo/dream/