ハミングバード  巨人にあこがれるハチドリがいた。  ハチドリは自分の巣では眠らない。寝ているあいだに、何かの拍子で見てい る夢が現実になったら、ハチドリはきっと巨人になるから。そうなったら、枝 が折れて大変だから。だからハチドリは、いつもケヤキの根元に胎児みたいに うずくまって眠った。落ち葉のベッドで、ちいさな胸を上下させて、巨人にな った夢を見ていた。  豊かで大きな森の中で、ハチドリは美しく育った。森はまるで巨大なサラダ で、動物たちは飢えることを知らない。ハチドリが食べるのは、明け方ひらく 花畑に実る、金色の花の蜜だ。瑠璃色の羽を広げて、銀色のくちばしで吸った。  なにひとつ暮らしに不自由はなかったけれど、花から花へと飛び回るとき、 朝露に映った自分の姿を見るたび、ハチドリの気持ちは雨季の空模様のように 曇った。 「おっと失礼」花に集まる虫をついばむ鳥たちは、蜜を吸っているハチドリの 背中をぷすりと突ついてくすくすと笑う。「虫だと思ったら、虫鳥ちゃんだね」  そういう鳥たちはみんな、ハチドリのことを気に入っていたのだ。花粉にま みれて空腹を満たす小鳥の姿は愛らしかったし、なによりハチドリのからだは、 彼らの赤ん坊くらいの大きさしかなかった。だから、鳥たちはみんな、自分の 雛を可愛がるような親しみをこめてハチドリのことをからかっていたのだ。 「やめてください!」とハチドリは叫んだ。「やめてよ!」その声がとても高 くて透きとおっているので、みんなはいっそうハチドリのことが好きになった。 夜が来るたび、ハチドリは大きくなりたいと泣いた。  ある晩、ハチドリがいつものように声を殺して泣いていると、通りすがりの 夜の鳥が、隣の枝に羽を休めに降りてきた。そいつは小首をかしげてしばらく 何かに耳をすませていたが、突然げらげらと笑い出すと、ハチドリに向かって こう言った。「へたくそな歌だな、ちび!」  勘違いしたそいつは、つばを飛ばして好き勝手をわめいた。「メロディーは でたらめだし、ろくに声も出てないぜ!」  ぎょっとしたハチドリが何かを言い返すよりもはやく、夜の鳥は枝を蹴って 羽ばたいていた。飛び去る間際、そいつは思い出したように付け加えた。「で も声色はきれいだ」  夜の鳥に言われたことが気になって、ハチドリは、生まれて初めて歌をうた った。すすり泣いていても「きれい」と言われた声色で、おっかなびっくり音 楽を紡いだ。勝手も知らずに思いつくまま声を張り上げていたら、今まで感じ たことのない不思議な熱が全身を包んだ。  その日から、ハチドリは、涙のかわりにうたうことを覚えた。  夜空よりも暗く、海よりも深い森の底で、だれよりもちいさな自分のからだ が一際みじめに感じられるとき、大きくなれない悲しみを歌にして、ハチドリ はうたった。  ルララ・ルララ・ルラ・ルララ  ルララ・ルララ・ルララ・ルラ  ハチドリの歌の聴衆は多くはなかった。ハチドリのちっぽけな歌声は、枝葉 を揺らす夜風ほどの力もなかった。泥のような眠りに沈む真夜中の森では、小 鳥がいくら精一杯に声を涸らせてうたっても、歌はだれの耳にも届かずに、暗 闇に飲みこまれてしまうのが常だった。  それでも時折、何かの加減で歌声がいつもより伸びたときには、夢見る動物 たちの一匹が、歌声に合わせて心地良さげな寝返りを打つことがあった。どこ とも知れない枝葉の陰から、「ホー」と囁きを返してくれる夜更かし好きの鳥 たちもいた。  そんな瞬間に出会うと、ハチドリの胸は、言葉にできない衝動にぶるぶると ふるえた。どうしてだろう? 悲しい歌をうたっているのに、同時に、焦げそ うなくらいに嬉しい。どうして?  それがなぜかはわからなかったけれど、歌をうたっている間だけは、胸の中 を覆っている悲しみが、ほんの少し薄らぐ気がした。だからハチドリは、夜な 夜な朝までうたい続けた。  ルララ・ルララ・ルラ・ルララ  ルララ・ルララ・ルララ・ルラ  ある日、森に巨人がやってきた。  ハチドリは、ひと目で巨人にぞっこんになった。巨人の顔はどんな朝よりも 白かった。巨人の瞳はどんな夜よりも黒かった。巨人の髪は、昼間は日の光を 浴びて金色、夜は月の光で銀色に輝いた。巨人はまるで幼い子どもみたいな姿 をしていた。  でも、それよりなによりハチドリを虜にしたのは、もちろん巨人の大きさだ った。巨人のからだはどんな動物よりも大きかった。巨人の背丈は森の木々よ りも高かった。  その巨人は、突然ふらりと現れた。何を考えているのかわからない顔でずん ずん歩いて森の真ん中にたどり着くと、そこでぴたりと立ち止まり、そのまま 根が生えたように動かなくなった。  死んでしまったのかと思うとそうでもない。ときどき突風のようなくしゃみ をしたり、思い出したように細い木を引き抜いて、奥歯でゆるく噛んだりして いる。好奇心に駆られた動物たちが、恐る恐る回りをうろついてみても、気の ない目つきでちらりと追うだけで、やはり一歩も動こうとはしなかった。  いつでも、どこにいても、巨人の姿はよく見えた。 「なんて素晴らしい大きさだろう!」ハチドリのうっとりした溜息を聞くと、 知り合いの鳥たちは口をそろえて理解できないと騒いだ。 「あの瞳をごらんよ。まるで沼の底みたいな色をしているよ」と、鳥たちは恐 れた。ハチドリは答えた。「でも、景色がよく見えないよりはいいよ」 「あの足をごらんよ。信じられるかい、歩くなんてさ? 羽もついてないんだ ぜ」と、鳥たちは軽蔑した。ハチドリは答えた。「でもきっと、ぼくが飛ぶよ りずっと遠くまで歩けるよ」 「あの図体をごらんよ。ははは、あの、きちがいじみた大きさといったら!」 と、鳥たちは笑った。ハチドリは怒った。「でも、だれにも気づかれないより ずっといいよ!」  鳥たちはさらにおしゃべりを続けていたが、ハチドリはもう答えずに、勇気 を奮って巨人に向かって羽ばたいた。  吹きあげる風をつかまえて、ハチドリのからだは、ふつうは飛べない高さま でくるくると舞い上がった。目の前に巨人の小山みたいな鼻柱があった。必死 でからだを水平に保って、ハチドリは、出せるかぎりの大声で「あの、お願い があるんです!」とさえずった。  巨人の真っ黒な瞳が、ぐるりと動いてハチドリを見つめた。胸がつぶれそう だった。暗くて深くて得体の知れない巨人の瞳に見つめられると、ハチドリは、 なぜだか夜中の森でうたっているときのような気分になった。  巨人が、首をかしげた。どうしたの? と言う風に。  心臓が燃えるように熱いので、ハチドリはあこがれが火を吹いたのだと悟っ た。何べんも何べんも、胸の内でこねられ続けて育った夢のかたまりは、小鳥 のからだにはもう収まらなかった。それはくちばしをつき抜けて飛び出すしか なかった。 「すこしのあいだでかまいませんから」と、ハチドリは叫んだ。「ぼくとから だを取り替えていただけませんか」  ごおん。  上から下へ、ゆっくりと。つむじ風が吹き抜けた。  巨人がうなずいた。  うん、いいよ。と、言う風に。    †  だれよりも大きな巨人。それがぼくだ!  なんて素晴らしいんだろう。なんて誇らしいんだろう。  さっきまで吹き飛ばされまいと必死だった突風は、こそばゆくほっぺたを撫 でている。ないと思った森の終わりが、すぐ目の前に現れている。雲のにおい がする。  巨人のからだで感じる世界は、いつもと同じ場所なのに、まるきり別の世界 のようだった。夢を叶えたハチドリは、嬉しさのあまりぴょんぴょんと跳ねた。 突然始まった地響きに、動物たちは何ごとだろうと巣穴から顔を出して巨人を 見上げた。  みんながぼくを見てる!  ハチドリは、上機嫌で両手をふって、しかめ面の動物たちに応えた。  見えるよ! ぼくにも、みんながそこにいるのが見える!  ハチドリは歌をうたいたくなった。陽の光の下、大きなからだで、今なら新 しい歌がうたえる気がした。今まで一度もうたったことのない、よろこびの歌 がうたいたくてたまらなかった。  口をついて出てくるにまかせて、ハチドリは短い旋律をうたった。足元の梢 に群がっていたサルたちが、一匹残らず気を失って地面に落ちた。  ハチドリはあっけにとられた。気を取り直してもう一度同じメロディーを繰 り返すと、家族連れのクマが泡を吹いてたおれた。  テンポを変えて、メロディーを変えて、ハチドリは何度も声を張り上げた。 巨人の声が響くたびに、森の木が、大きいものから順番にめきめきと折れた。  何度やっても結果は同じ。  巨人の喉から出た声は、身も凍るほどひどかった。  巨人になったハチドリは、元の自分のからだを探した。  見つけたら、とりかえっこはもうやめよう、と言うつもりだった。  でも、小鳥の姿はどこにも見当たらなかった。  ちいさな小鳥を探すには、巨人のからだは大きすぎた。巣をさぐろうとした らケヤキが折れた。食事をしていた鳥たちに話を聞こうと迫ったら、ひと息で、 花畑ごと吹き飛んだ。  どれだけ森をかきわけても、ちいさな世界はもうのぞけなかった。  途方に暮れたハチドリがふと足の裏を調べてみると、踏みつぶされた小鳥の からだが、ぺしゃんこになって貼りついていた。    †  ハチドリだった巨人は、世界中をあてもなく歩いた。  生まれた森にはもういられなかった。巨人のからだで暮らすには、森はあま りにちいさすぎた。  あんなに巨人になりたいと願っていたのに、二度と以前のようにうたえない と知ったときから、大きなからだはあっという間に嫌いになった。巨人の足は どこでも好きな所に行くことができたが、どこも狭くて窮屈だった。巨人の瞳 は山の形を見分けることができたけど、足元の花は見えなくなった。  どこにいても、何をしていても、必ずだれかの視線を感じた。うんざりした 巨人は、砂漠に隠れて暮らすようになった。他に比べるものがない砂の海の中 でなら、自分のからだの大きさを、少しは忘れていることができた。  冷たい夜がやってくると、砂の中で膝を抱えて涙をこぼした。そこはやがて オアシスになった。涙でできた湖に自分の姿が映るので、巨人はいっそう悲し くなって、湖の水が涸れるよりはやく、あらたな雨をそこに降らせた。  水を求めてやってきた若いゾウが、巨人に気づいて「きみはどうして泣いて いるの?」と声をかけた。 「ぼくの夢は大きくなることだったんだ」と巨人が言うと、ゾウは十五センチ くらい跳び上がって、両方の耳をぴったり頭に押しつけた。巨人の返事が、あ んまりひどいだみ声だったから。 「やめておけよ」耳のあいだから上目づかいに巨人を眺めて、ゾウは言った。 「きみはじゅうぶん大きいよ。それ以上大きくなったら、きみの重みで地面に 穴があいちゃうぜ」 「ちがうよ。ぼくの夢は叶ったんだよ」と巨人は答えた。 「わからないな。夢が叶ったのに、きみは泣いてるっていうのかい?」 「大きくなったら、歌がうたえなくなったんだ」 「歌?」  巨人は、ゾウに自分が小鳥だったときのことを話した。 「あのね、よくわかんないんだけど」話が終わるとゾウは言った。「きみは大 きくなれない悲しみをごまかすために、歌をうたっていたんだろう?」 「そうだよ」 「それじゃあ、きみにはもう、歌は必要ないはずじゃないか。歌ってきみのな んだったんだい? きみの話は、意味がわからないよ」  ゾウはそれだけ言うと、あきれたように鼻を振って、ざぶざぶと湖に入って いった。ゾウの鼻から湖の水が噴水のように吹き出して、悲鳴が響いた。しょ っぱい!  巨人は両手いっぱいに砂を集めて、ゾウごとオアシスを埋めたてた。  ぎらぎら焼けつく太陽の下をさまよいながら、巨人は歌に思いをめぐらせた。 歌は自分のなんなのか。いくら考えてもわからなかった。初めてうたったあの 夜の感触を思い出そうとしてみたけれど、ハチドリだった頃の記憶は蜃気楼の ようにかすんで、触れようとすると手ごたえを失った。  巨人は、ただもう一度、きれいな声でうたいたいと望んだ。  悩める巨人を砂嵐が襲った。激しく暴れる砂のつぶては、三日三晩巨人のか らだを打ち続けた。  四日目の朝、やわらかい光がまぶたを叩いた。花の香りがする風がそよいで、 からだにこびりついた砂粒を払い落とした。  目をひらいたとき、巨人は砂漠の外れに立っていた。見つめる先には、どこ か懐かしい雰囲気に包まれた、緑の森が広がっていた。    †  森は巨人の生まれ故郷によく似ていた。金色の蜜をにおわす花畑が咲いてい た。ケヤキの古木も生えていた。曖昧な記憶のせいかもしれないけれど、そこ は本物の故郷そっくりに見えた。  森の中心で佇み、巨人は待った。  言葉にできない予感があった。  三日後の朝にそれは起こった。  小鳥が一羽、じたばたしながら鼻先に飛んできて、「あの、お願いがあるん です!」と叫んだ。  思わず漏れそうになった声を、巨人は慌てて押しとどめた。喋ってはいけな い。この声を聞かせてはいけない。  どうやればいいのかはよく知っていた。  巨人は小鳥を見つめて、首をかしげた。どうしたの? と言う風に。 「すこしのあいだでかまいませんから」と、小鳥が言った。「ぼくとからだを 取り替えていただけませんか」  うなずいた瞬間、巨人のからだは吹き下ろす風に乗って舞い降りていた。く るくる渦巻く空気の中で、両方の翼が風をとらえた。瑠璃色のからだ、銀色の くちばし。  うたう小鳥。それがぼくだ!  これでうたえるよ。さあうたおうよ。  ハチドリはケヤキの枝につかまった。頭上では、巨人が両手を振り回し、滑 稽なダンスを踊っていた。内心うまくやったとほくそえんで、ハチドリは高ら かに喉をふるわせた。取り戻した声で、思い出した歌をうたうために。  ルララ・ルララ・ルラ・ルララ  ルララ・ルララ・ルララ・ルラ  おかしいな、とハチドリは首をひねった。小鳥の喉から出た声は確かに透き とおっていてきれいだったけど、それは歌と呼べるものではなかった。声は妙 に空々しく響いた。  ハチドリは自分が作った歌を、ひとつひとつ思い出してうたった。  どの歌も、小鳥の喉を出た途端、ただの乾いた叫び声に変わった。姿が元に 戻っても、昔の自分がどんな気持ちでその歌をうたっていたのか、ハチドリに はもうわからなかった。  ちいさな自分を励ます歌なんて、どんな気持ちでうたえばいいんだろう?  おおきなからだを夢みる歌なんて、どんな気持ちでうたえばいいんだろう?  ちいさい自分が大嫌いだった。  でも、大きくなってもいいことなんてひとつもなかった。  自分の気持ちを確かめようと胸の中をのぞきこんでみて、ハチドリは真っ青 になった。  そこには何もなかった。ハチドリの夢はからっぽだった。  からだが裏返るほど強く叫んで、ハチドリは、長い長い悲鳴をあげた。だけ ど、だれにも届かない。  ずしん、ずしんと地面が揺れて、巨人の影が近づいてきた。  振り下ろされるその足の裏めがけて、ハチドリは飛び込んだ。  ルララ・ルララ・ルラ・ルララ!  ルララ・ルララ・ルララ・ルラ! (That's all)